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2010年3月の5件の記事

2010年3月27日 (土)

ハードな一日

昨日は母の通院日でした。ところが私が午後からどうしても行かなければならない用事があり、とてもハードな一日になってしまいました。

母の病院でのスケジュールが午前が眼科、午後からリハビリです。私が午後2時から4時まで病院から30分くらいのところにいなければいけないというスケジュールです。

そこで朝9時過ぎに母を迎えに行き、10時半少し前に病院に着き、午前中の診察を済ませ、昼食を済ませてから母を病院において私が出かける、ということになりました。

一つひとつのスケジュールは結構余裕を持って済ますことが出来たのですが、とにかくあっちこっち飛び回った感じでとても疲れました。

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2010年3月24日 (水)

人工呼吸器をつけるということ

延命措置の方法として人工呼吸器をつけることがあります。この場合、余程のことが無い限り、担当医から人工呼吸器をつけるかどうかの確認があります。

なぜかというと現状では一旦つけた人工呼吸器は、人工呼吸器が必要でないような状態にならない限り、簡単にはずすことが出来ないからです。仮に一旦つけた人工呼吸器をはずしたとして、それが原因でその人が亡くなってしまった場合、はずした人は殺人罪になる可能性すらあるのです。

こうなると人工呼吸器をつけてしまうと簡単に死ぬことはできないということになります。つまり「死ぬ権利」を放棄するに等しいということになります。
実際、私の父の場合も他の臓器が機能しなくなるまで生きることになったわけですから…
ですから私は当初父に人工呼吸器をつけないつもりでいました。

では私がなぜ父が人工呼吸器をつけることを承諾したのか…

アメリカの俳優でクリストファー・リーブという人のドキュメンタリーを見たのがきっかけです。この人は乗馬中の事故で脊髄損傷となり首から下が麻痺した状態になってしまったのでが、人工呼吸器をつけた状態で電動車いすを動かし、言葉もしゃべり、リハビリに励んでいるのです。この姿がとても印象に残り、父にも人工呼吸器をつけようと思ったのでした。

結果そのことが良かったかどうか今のところ自分では結論を出すことが出来ていません。もしかすると永遠に答えが出せないかもしれません。


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2010年3月23日 (火)

家族の思い

昨日は「死ぬ権利」について書いてチョットみましたが、では「死ぬ権利」を主張できるような家族をもった人たちはどのような思いでいるのでしょうか?

私の父に対する思いや母が父に対して思っていたこと、一昨日のNHKスペシャルなどから判断して、代表的なものはこの二つではないでしょうか。

ひとつは
「死にたいなんて言わずに長生きしておくれ!」

もうひとつは
「よくわかった!神様にお願いするよ!
 神様、後生だから早く死なせてやっておくれ!!」

まったく正反対のことを言っています。ただ何かのタイミングで前者から後者に変わることはあります。(私がそうでした。

家族の思いも複雑なんです。

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2010年3月22日 (月)

生きる義務、死ぬ権利

昨日のNHKスペシャルと投稿に少し関連して…

人はこの世に生まれてくる以上、生きていく義務があると思うのです。
では、それは一体どのような義務か…
人はこの世に生まれてくるにあたって、何らかの使命(役割)を与えられており、その使命(役割)を果たすことではないかと…

そして、この義務を果たした人、果たすことが出来なくなってしまった人には死ぬ権利があるのではないかと思うのです。
それは一体どのような権利か…
死に方を選ぶ権利
死ぬ時を選ぶ権利
死ぬ場所を選ぶ権利 など

誤解しないでいただきたいのは、私は決して自殺を推奨しているわけではありません。
ただ意識がしっかりしているのに体がまったく動かなくなってしまった人が死を望んでいる時、生き続けることを強制して良いものなんでしょうか?


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2010年3月21日 (日)

閉じ込め症候群

今日のNHKスペシャルで閉じ込め症候群のドキュメンタリーを放送していました。

3人の閉じ込め症候群の方が出てきました。出てきた方が閉じ込め症候群になった原因の病は私の父とは違っていましたが、父のことを思い出さずには要られませんでした。

と同時に、病床の父に対して行ってきたことが本当に正しかったかを改めて考えさせられました。

父が8年半に渡って体を動かすことも出来ず、話すことも出来ない状態を望んでいたのだろうか、とか…
体(臓器)の限界まで生きられたことを喜んでいたのだろうか、とか…
実は、私のほうが寝たきりの父を見ていることで何らかの力を貰っていたのではなかっただろうか、とか…

考えれば考えるほど答えは出てきません。これからもずっと本当の答えは見つけられないような気がします。
(それはそれで良いと思うのですが…)

ところで今日見られなかった方、3月24日深夜午前0時45分から再放送があります。
生きるとは何か、命とは何かを考えることが出来ると思います。ぜひご覧ください。


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